2014年04月25日

春ですねぇ Tシャツです。


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ケニア、パキスタン、ブータンでの青年海外協力隊OB/OGやその他の友達とNGOを運営しています。
その名はGrowing People's Willです。(成長する人々の意思)といいます。

日本の目の不自由な方にTシャツやカレンダーを作成していただき販売しています。
その収益をフィリピン、パキスタン、ミャンマーの子供達の学費にさせていただいています。

Tシャツにはいろんな国の言葉で「ありがとう」と胸に印刷されています。
「感謝の気持ち」が人のエネルギーの源と絆だと思うからです。

日本も暖かくなってきたようですね。春らしいとてもカラフルなGPWのTシャツはいかかですか?

ウェブサイト (Tシャツ購入可能です、よろしくお願いします!)



(上の写真はイメージ写真です。うちの商品ではありません。)

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2014年04月16日

Nturiri Secondary School ありました!

グーグルやFacebookがソーラードローン飛行機を使って、世界の人をネットでつなげようとする世の中。

当たり前だといえば、当たり前なのですが、自分の教えていた学校を地図上でみつけて感激してしまいました。ここで1992年〜1994年まで理数科教師として働いていました。ケニアの中学校です。


スクリーンショット 2014-04-16 7.55.47.png
ケニアのナイロビから約200キロで、星マークのついているところです。


ズーム写真がかなりクリアです。校舎が増えてる!え、男子校になっちゃったの?(少し前に生徒から聞きました)、灰色の屋根の校舎は以前なかったです。星があるところが凸凹のグランド、毎日生徒と賞品を賭けてサッカーをしていました。

右手に広くあるのは学校の農地です、農業の授業という名目で生徒は労働されられていました。ここでできたトウモロコシと豆を市場で売るためです。それは学校の?校長先生の収入になっていました!

井戸を二つ作ったのですが、まだ残ってるのかなぁ。上の図の左下の小さな小さな家が自分の家でした。ただ地図をみるだけなのですが、なんだかドキドキしてしまいます。地図を見ながら頭の中がタイムスリップしています。

この学校での出来事などは少々こちらに書かせていただいています。


素晴らしい「はじめ人間ギャートルズ」や魔女を訪ねたのはこの辺り、タナリバーブラザースが住んでいるところです。
学校からオフロードバイクで何時間もかけて行ったところで、どの道を通ったのか、正確にはわからないのですが、多分このあたりです。

このところ自分の教えていた生徒達と、小さなプロジェクトを始めようかと思っています。教えていた生徒といっても、すでにみんな40歳でーす。はははは。

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2013年09月18日

ハランベ−スクール



ケニアで教師をしている時のことを思い出しました。自分の教えていた学校はまさにこんなところでした。

全校生徒100人、日本でいう中3〜高3の4年間のセカンダリースクール。ハランベースクールといって今思うとコミュニティースクールで、教師(8人)は政府から派遣され、経営は校長先生の手のもとでした。

田舎のなかでも、地元の人がおもわず笑っちゃうぐらい貧乏でボロい学校で、20年前の今頃はそこで物理と化学を教えていました。クラスには割り算ができる子が数名いるだけだったんですよ。

みんな本当に楽しい生徒たちで可愛かったです。子供を持っている生徒も何人かいました。

いま思うと、自分が見たり知ったことは彼らの生活の一部だけだった、何も知らなかったそんな気がしています。

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2012年04月29日

かっちょいいチーム!

foot.jpg

                       Source: http://www.pinterest.com/pin/63120832247697539/

 

メチャクチャ強そうなチームですね。8人なのがいいです。きっともっと沢山いるのでしょうけど、ボールが8個しかなかったのだとおもいます。最初見た時は、女の子チームかと思いました。もしそうだったら、すごいポスターです。


ボールがボロボロなところがとてもいいです。8人中、3人は素足・靴下なしです。こういうところでは、スパイクを履いている子のほうが実は稀です。


タンクトップが、伸びきっています。お父さん達からの代々のお下がりなのか、とても年季が入っています。


毎日、5時間はボールを蹴っている子供達だと思います。村のトーナメントでは村の名前をかけて戦います。グルコースの粉の缶詰が売っていて、疲れるとその白い粉を舐めてエネルギー補給していました。


かつてケニヤやタンザニアにいた時はこんな子供達が山ほどいました。タナリバーブラザースの故郷で会った子供達はまさにこんな感じでした。メチャクチャ上手くて、速いですよ。自分はいつも追いつけないので、シャツを引っ張っていました。(反則ですよ。もちろん)


この写真にタイムトリップされました、、、。


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2012年01月24日

アイアイサイサイ!


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安定なんてくそ食らえ、刺激に満ちた生活、それこそが若者を奮い立たせるエネルギーに違いない。 

 

数百メートル離れている生徒たちの話し声さえ聞こえる夜、天の川は静かにギラギラ輝き流れている。 

 

小学校のとき確か教科書で読んだことがある。 留吉はこういった、 「もし、太陽と月が一緒に出たらこの世の中は明るかろう」 小学生の僕は馬鹿なことを言う人がいるなあと理解できなかった。 きっと本当に明るい月を観たことがなかったからだ。 

 

月に照らされる大きく広がる大地は明るい灰色に浮き上がって見える。 この地球も宇宙のなかの星なんだと初めて空を見ず大地を見ながら感じることができる。 こんな月、星、夜の荘厳さ奇麗さに気づく事ができたのはこのケニアの山中に住みはじめて3ヶ月たった頃かなあと思う。 

 

夜は蝋燭2本ぐらいの明るさのランプのもと明日の授業の予習や、手紙を書く。 ランプが照らしてくれるのはテーブルのうえだけで、周りを見ても薄暗くてあまり良く見えない。 しかし、ランプの下で生活なんてまるでハイジみたいで僕は好きだ。

 

夜中12時も過ぎて、日本で待ってくれている彼女に手紙を書いている。毎日いろんなことが起こるので書く内容は事欠かない。 手紙は意外と早く日本に着く10日から2週間、まあ取りあえず、今書いている内容の返事は1ヶ月後に知ることになる。 

 

静かな中にボールペンが紙の上を走る音のみがしている。 

 

しかし、サカッ サカッ サカッ と頭上でなにか動いた感じがした。少々びびりながら気のせい気のせいと自分に言い聞かす。 しばらく何も起こらず、また静かになる。 

 

ため息をつきながらいつのまにか耳を澄ましている。と、やっぱりサカッ サカッ サカッ サカッと頭上で速い音、しかもかなり近い。音と同時に小さな風をほっぺに感じる。 

 

家の中を何かが飛んでいる。 ゾクッと 鳥肌が立ち、周りを見渡すが暗くて何もみえない。 

 

ランプを片手に立ち上がるとまたあの速い音、暗がりにちらっと飛ぶ姿を捉えた。

 

昆虫にしては大きすぎる。六畳ぐらいの狭い部屋なのに、飛んでるとき以外はどこに居るのかわからない。 

 

何だっていいから打ち落とさなくてはと思い、ほうきを手にする。 じっと待つ、びびりと集中の世界、また飛んだ、ほうきを振り回す、円を描いて飛んでいるため当たらない。

 

もう一度静かに待つ、また飛んだ。ほうきを振り回すが当たったのか感触がない。 

 

しばらくしても飛ぶ音がしなく、打ち落としたんだと安心した。 


「ほーっ」 っと安堵のため息、でもまだ緊張さめやらず落着かない。そして、ランプの置いてあるテーブルの椅子にゆっくり座る、耳を澄ましながらもうあの音が聞こえないようにと願う。

 

椅子に座りながら、下を向く。ランプに照らされた自分の身体の左胸の少し下にぴったりととまっているコウモリを見た。 

 

驚きのあまり声は出なかった、無言でもがき落とし、家のドアを開けたたき出した。 

 

実はこの家には数百のコウモリが住んでいる。住みはじめて間もないころは天井裏の数百のコウモリの鳴き声と毎日だされるすごい量の糞尿の匂いで夜はなんども起きてしまうことも度々あった。 

 

石造りで3つの部屋、水浴び場を持つこの家は村では贅沢な家のひとつである。 天井があるのも珍しい。天井は所々尿がしみ込み柔らかくなり糞の重さで垂れ下がり、ひどいところはそれが破け、その破けた穴の真下には糞の山がこんもりできている。 

 

表現し難いツーンとする独特のにおいである。毎日、夕方7時頃になると家の天井より上の外石壁より30匹程出てきては一斉に家の上を2、3周しながら飛びっ立ってゆく。そして次の30匹がまた出てきて、飛んでいく。

 

深夜は殆どのコウモリは外に出ているはずだが、この日は非番コウモリが誤まって破れた天井の穴から家中へ落ちてきたらしい。 

 

幸いここに住むコウモリは吸血コウモリではない、吸血コウモリはその唾液に狂犬病を発生させるウィルスを持っているので大変危険である。この家に住むコウモリはそれほどやばい種類ではないが、その天井からこぼれてくる糞は有害であると聞いた。どう有害かは知らないが、とりあえず臭い。

 

 

 

これはいまから20年も前の話です。協力隊でケニアで中学校の教師をしていたときのもので、学校の敷地の小さな家に住んでいました。いろいろな生き物が家の中や外にいました。コウモリ、巨大なトカゲ、サソリ、ハリネズミ、大きなゴキブリ、カメレオン、もぐら、、、

 

ケニアの後、NYに修士を取りに行きました。そこでどうしてもケニアでの経験を本(仮題:アイアイサイサイ)にしようと思いつき、書き出しましたが、思わず10ページぐらいで断念しました、、、(恥笑)。上の話しはその一部分です。 「安定なんてクソ食らえ」とは我ながら、まさにバブル時代の言葉です。

 

その10ページもどこかに無くなったと思っていましたが、PCを検索するとでてきました。本を「アイアイサイサイ!」という題名にしたかったのは、NYにいる時にケニアの教え子からもらった手紙のとても元気な挨拶だったからです。

 

NYで貧乏学生生活をしていた自分を生徒達は手紙でいつも勇気づけてくれました。英語もまともに喋れなく、授業も下手で、感情のコントールもできない無知な若者だったのですが、、。

 

今朝、facebookで友達リクエストを受け取りました。共有の友達なし、イカツイ顔をしたアフリカ人のおじさんに見えました。スパムかなぁと思い、名前をみるとムガンビ・シャバリとありました。

 

「アイアイサイサイ!」と挨拶が入っていた手紙を書いてくれたその本人でした。お互いに信頼し、遊び、そして共に学んだ教え子でした。(写真後列の左から2番目です。)

 

20年も経過して、facebookで自分の名前を検索してくれて突き止めてくれたようです。とても嬉しく思いました。ケニアでの教師生活は一生の宝のうちの一つです。

 

 

すみません、超長いブログ更新になってしまいました。ここまでお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

posted by ichiro at 10:40| バンコク ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | 協力隊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月30日

マトマイニ(希望)


iStock_000013553817XSmall.jpg*

1992年12月、ケニア、ナイロビにあるマトマイニ
孤児院(スワヒリ語で希望という意味)に数日間滞在させていただきました。

協力隊の現地訓練のひとつでした。

そのマトマイニのブログがあることを知り、感激しました。

http://ameblo.jp/scckenya/ 

ブログにコメントを入れさせていただくと、早速代表の菊本さんよりメールをいただきました。

マトマイニの活動も24年目になり、孤児院の域を抜け、地域住民のための、特にシングルマザーのための「ものつくり」にかなり力を入れられているそうです。

 

しなしながら、社会構造や貧困は改善することはなく、貧富の差は広がり、孤児院のニーズも高まるばかりだそうです。

 

また、このブログの「学校」のテーマをみてみてください。とても勉強になりました。



24年、実直な活動、継続は力なり。本当に頭が下がります。


本日もブログをお読みいただきありがとうございます。

*上の写真はマトマイニのものではありません。
posted by ichiro at 10:23| ニューヨーク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 協力隊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月25日

タイムマシーンみたいなメッセージ


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It's too long since we left, where is you and what are you doing, Am in Meru 
from Josphat Mwiti

Facebookのメッセージはまるで時を超えて来たように感じた。

「ありえない、、」「20年前と同じ英語の間違いをしてる、、」

とても嬉しかった。

大昔、ケニアで教えていた生徒Mwitiからだった。でもいきなり、where is youはないでしょう、、、。

Mwitiは頑張り屋でクラスの成績もトップ、運動神経はあまりよくなかった。

最初の出会ったのは、真夜中、彼がドミトリー(学校の寮)の中、マラリアで死にそうな顔をしていたときだ。

夜中に生徒が家のドアをノックした、「マリム(先生)、大変です。Mwitiがかなり危険な状態なんです、、」
行ってみると、汗をかきまくり、目がうつろ、ゼイゼイと呼吸をしていた。病院はお金がかかるので、多くの人は本当にやばい状態になるまで病院にはいかない。

「マリム、バイクで病院につれていってください」、珍しく真面目そうで、心配そうな生徒達。

倒されて、殴られて、バイクを取られると聞いていた、危険なメルー。夜にバイクは乗るなと同僚にいわれていたけど仕方ない。10キロ先のチョゴリア病院に連れて行く。凸凹ラフロード8キロ、ターマック2キロである。

「Mwiti落ちちゃうかもなぁ、、、」

なんとか病院につくと、薄暗い中に同じような人がたくさん。

夜中なのに、、、。隣の椅子で寝ているじいさんは生きてるのか確認できない。長く待たされたが、先生に会い、薬をもらう。

「お金持ってるわけないよな、、」と思っていると、ポケットからクシャクシャのお札を何枚かポロポロと出した。
そして、医者に震える手で渡した。

後で聞いた話だが、クラスの友達で集めたお金だったらしい。翌日からMwitiは回復した。

Facebookのお陰で古い友達とまたつながることができました。感謝します。



今日もブログをお読みいただきありがとうございます。






posted by ichiro at 14:33| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 協力隊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月08日

協力隊チャンネル?


スクリーンショット(2010-10-08 5.26.09).png

青年海外協力隊のYouTubeの特別チャンネルがあればいいなぁと思います。情熱大陸みたいな設定で、10分の活動紹介ビデオクリップ。Podcastでもいいですよねぇ。上の協力隊ブログもなかなか素晴らしいです。

情熱大陸に出てくる方はすごい人ばかりですが、協力隊の中にも、ものすごい情熱を持って仕事をされている方が山ほどいます。一人ぼっちでの任地ですが、すごい頑張ってます。

途上国の現実とぶちあったって、怒ったり、泣いたり、凹んだり、立ち直ったり、、全てがサクセスストーリーではありません。ありのままに協力隊の現実を映しだしたらいいと思います。

協力隊になりたい人、すでに活動している人、OB/OG、この開発業界の人にとってもとても役立ち、またお互いに勇気付けることができると思います。協力隊事業の説明責任の一貫としてもいいのではないでしょうか。

http://www.jica.go.jp/volunteer/outline/story/sony/

iStock_000012548559XSmall.jpg
今日もブログにアクセスいただきありがとうございます。

posted by ichiro at 07:36| ニューヨーク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 協力隊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月10日

タナリバー・ブラザース 10

夜になった、電気もなにもないこの村は真っ暗で月の明かりと小さなランプでの生活になる。静かすぎる時間。

ムインディは暗くなってからどこかに行ってしまった。きっと悪さをするために友達とでも会いに行ったんだろう。

ムインディの両親やおじさん達とハチミツ地酒で乾杯した。ケニアでは客人を大事にもてなしてくれる。自分のつたないスワヒリ語であまり通じないのだが、意思疎通はできる。

ケニアには約50部族があり、部族で違う言葉を話す。スワヒリ語は英語と同様に国の公用語だが、村にいけば部族語のみ話す人も多い。

すこし酔っぱらって360度以上の星降る空を眺めていると、数十秒ごとに流れ星をみることができる。頭の中にはこの曲がなな流れっぱなし。 http://www.youtube.com/watch?v=jpAl_ekcl0Q

家に帰ってきたムインディといろいろと話す。学校のこと将来のこと、、ムインディは「しっかり勉強してアメリカの大学にいき、そして戻ってきてこの土地までアスファルトの道と電気を引く」と熱っぽく語っていた。

翌朝、起きてみるとムインディのお父さんが山羊を1頭絞めて、バーベキューにしていてくれた。朝から目の前は山盛りのお肉だった。

沢山のお礼をいい、来た時のようにムインディをバイクの後ろに乗っけて学校へ向かった。帰りは登りなので、エンジンは何度もオーバーヒートし、走っては休みを10回ほど繰り返しようやく学校についた。

このントリリ中学だって電気や水道のない超田舎なのに「ほっ」とした。違う国にも思えた。とても刺激的な2日間だった。

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タナリバーにいってからあっという間に15年経過した。世界は刻々と変化しているが、きっとタナリバー周辺は何も変わっていない。いま思うと自分のバイク、MT-Xはタイムマシーンだった。
posted by ichiro at 11:02| ニューヨーク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 協力隊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月08日

タナリバー・ブラザース 9

その日はムインディの村で子供のサッカー大会があった。えっ、こんなところでもサッカー?、、、となり村よりも子供がきていたり、サッカーをやる広場には300人以上の子供やその親たちがいた。もちろんみんな裸足のサッカー。

その横で大きな石を手に握り、頭から血を出しながら叫ぶおばあさん、あれは何だったんだろう、、、

きっと村始まって以来の日本人だったのか、みんな珍しく驚いたような顔で自分のことをみていた。歩けば20人ぐらいの子供が後についてくる。座れば子供たちはすこし離れて座って自分を囲む。なんだかこっちを見てクスクス笑っているが、自分が急にうごくとみんなビビって走り逃げていく。

ントリリ中学の生徒だってたまに自分の肌をさわりながら、「マリム(先生)、何色の血がながれてるの?」と聞いてきた。そのころあったたくさんの長い髪もなんど引っ張られたか。

ケニアやタンザニア、エチオピアときくとまず頭に浮かぶのはマラソンランナーではないだろうか。たしかに子供や生徒の身体能力は半端ない。

ントリリ中学の運動会でも、なんの練習もしなく、コーチもだれもいないのに、よーいドンで走ると100mを12秒台とか10キロを30分で走ってしまう。子供のときから何時間も野山を走り回っているのがその理由かもしれない。

sports1_0020.jpg
(ントリリの運動会にて 撮影:宮沢)

続く、


posted by ichiro at 10:43| ニューヨーク ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 協力隊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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