
Safe Haven Orphanage (孤児院)は上の写真のタサリーさんによって25年前に始められました。
25年前に夫を失い、4人の自分の子供とそのころ面倒をみていた4人の孤児たちの9人で路頭に迷ったそうです。
それが孤児院のはじまりです。
Safe Haven Orphanage
彼女はカレン族のタイ人、ここはミャンマーとタイの国境から数百メートルのところです。(地図を以下に添付しました。)
仕事を得ようにも学校にいっていなかったためどこも相手にしてくれません。自分でなんとかするしかないのです。
村の小さな家から始まった孤児院ですが、現在100人の子供たちの面倒をみれるぐらい規模が拡大しています。
タサリーさんは「ここの子供たちには教育だけはしっかり受けさせる」と真剣です。

いまは学校が休み期間ですが、施設内の教室で子供たちに勉強を教えます。教えるのはこの孤児院から最初の大学生になろうとしている男の子。彼は片足が使えませんが、それを乗り越えて勉強に励み大学に入学する許可を得ました。大学入学をとても興奮していました。
ほとんどの子供は国籍がありません。そのため中学や高校に行くことも困難で、大学に入るには学力はもちろんかなりの後押しがないと可能ではありません。また、国籍がないと奨学金や学生ローンも受けられません。
この孤児院では障害を抱えている子が多くいます。障害のために親に捨てられてしまう子もいるそうです。上の写真の右側男の子は立つことはできませんが、2本足で歩けず、両手を使いながら歩きます。
一昨日も子供が一人預けれたそうです。その子に会いましたがまだセンターになれないようで、緊張した顔つきでした。
3歳ぐらいでしょうか、、・
孤児の中には心臓にふたつ穴があいてしまっている2歳の女の子がいました。近々、手術をするそうですが、医療費は国籍のない子供の場合、何倍もかかるそうです。常に現金払い、タサリーさんは頭を悩ませています。

図書室です。ノルウェイの大学生たちがやってきて、図書室を建造したそうです。

男の子の寮です。

中はこんな感じです。2段ベッドが隙間なく置かれていました。

女の子の寮です。

これは現在建造中の未亡人センターです。子供をここに預けて死のうとするお母さんが後を絶たないそうです。夫に死なれてこれからの生活をやっていくことが出来ないと思い込みます。そんな女性も子供もここで面倒をみるようにしたいそうです。
昨日、このセンターの中ではこれから売りに出す民芸品や布を織る女性たちに会うことができました。
周りの人に「ちゃんと休みなさい」叱られるタサリーさん、いままでの苛酷な重労働で膝や身体の一部が悲鳴をあげています。
そんな彼女が子供たちに一番伝えたいことは「辛いけど助けあって生きて行く」だそうです。
施設内の彼女の家です。家の中のテレビに子供たちが集まります。
彼女の人生が本になるそうで、昨日はこの孤児院にWriterさんがいました。
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宮沢